オススメ映画紹介コラム “シネマ裏メニュー” vol.5『キャリー』(1976年版)

シネマ裏メニュー

第5回目は『キャリー』(1976年版)

オススメ映画紹介コラム「シネマ裏メニュー」も第5回目となりました。
マイナーな映画を紹介するという趣旨の企画なのに、どメジャーな名作を取り上げてすみません・・・。

今回ご紹介するのは、リメイクもされている、ブライアン・デ・パルマ監督の映画『キャリー』(1976年版)です。

mv5bmtg1njewotuxn15bml5banbnxkftztcwoti0mtu0na__v1_sy1000_cr006661000_al_
©MGM/UA

エッセイ「シネマ・プロファイリング《赤松かおり氏の場合》――『キャリー』」(竹中啓二)

(注:この文章はネタバレが多分に含まれます。古典的名作ですし、スティーブン・キング原作でネタバレも糸瓜もないでしょうが、気になる方は鑑賞後に読まれることをおススメします。)

さて、当コラム。前回までは私の独断と思いつきにより取り上げる映画を決めてきたが、ここに来て、はたと思い当たった。

――共同作業者による赤松氏の意見も聴かないと、何かが爆発するかもしれない。

虫の知らせから、5回目にして恐る恐る、彼女に一押しの映画を伺ってみた。

挙がってきたのが、この映画『キャリー』。

僕の勘は正しかったのだ。暴発すれば姫路が崩壊するほどの大惨事になっていた。まず姫路市民は僕に感謝してほしい。

『キャリー』ブライアン・デ・パルマ監督。スティーブン・キング原作。

キング原作の映画、と言われれば僕は『スタンド・バイ・ミー』(ロブ・ライナー監督/1986)を真っ先にあげる。

少年時代が2度とは帰ってこないもの、この世には取り戻すこと出来ないものがあると知識ではなく、本当に痛感した20代の僕――などと感傷にふけっている場合ではない。

同じ20代で赤松氏はかの『キャリー』を繰り返し観ていたという。これはなかなかの非常事態だったのではなかろうか。

シネマセラピーというような言葉もあるけど、ここではシネマ・プロファイリングを試みてみたい。

『キャリー』の何が、20代の赤松氏をかくも惹きつけたのであろうか、と勝手に無責任に想像してみる。
ポイントは2つある。

まずは主人公のキャリーへの感情移入。

ステージに豚の血がぶちまけられる。キャリーの超能力が最高潮に発揮された時、画面は分割され、キャリーのアップと逃げ惑う人々が同時に映し出される。燃え盛る会場、血にまみれるドレス姿の男女。画面は阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。

%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%a0
©MGM/UA

当時、赤松氏が社会にどのような不満を抱いていたか知る由もないのだけど、相当に鬱屈したものが溜まっていたのには、想像に難くない。

だが、何もかもが大崩壊していく様を、赤松氏はキャリーに感情移入しつつ「みんな燃えてしまえばいいのよー。ほーっほっほっほ」と爽快感をもって眺めていたかと言えば、そうとも言い切れない。

それは、少女キャリー自身の最期に現れている。
カルトにハマってしまっているため、ゆがんだ愛情を娘に向ける母親。キャリーは彼女と対決せざるを得なくなる。名実ともに血で血を洗う死闘は、誰をも幸福にしないラストに突き進んでいく。

%e3%83%9e%e3%83%9e
©MGM/UA

――単なる破滅願望かもしれないが、今のところ赤松氏は心身ともに元気にこの世に存在しているので、その線は採らない。

つまりは、彼女はモラリストである。
パーリピーポーだけが崩壊するのではなく、崩壊の中に自分も身を置くことで他人事ではなくなるからだ。単なる傍観者ではない。
次に、存分に発揮されたスティーブン・キングの持ち味――物語も登場人物も、シンプルで過剰。

超能力を持つ少女・キャリーは過度のいじめにあい、その能力で大復讐を果たす、と書いてしまえば身も蓋もない物語。しかしながら、巧みな構成と過剰な語り口でたちまち惹きつけられてしまう。稀代のストーリーテラーの真骨頂だ。

そして、キャラクターたちの造形。
キャリー自身も、その母親も、次から次へと出てくる人物は、物語の中で与えられた役割を単純明快に、過剰にこなしていくようにさえ見える。

特にキャリーをいじめるクラスメートの筆頭・クリス。
%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9
©MGM/UA

キャリーがいくら気に入らないとは言え、彼女をいじめたことで教師に罰をくらい、逆恨みし、遂には殺意まで覚えるのは、お姉さんいくらなんでもそれはちょっと、と声をかけたくなる。いや、近づきたくないけど。

濃厚なお話は劇薬だ。体に一気に染み込み、征服する。
つまりは、赤松氏は何も考えずに現実から一気に物語の世界へトリップしたい状況に置かれていたと推測される。
生半可な市販薬では効かなかったのだろう。

まあ、総合すれば、あるひとつの正しい若者の姿ではないか、と無理やり結論付けてみる。
『キャリー』の成功は、原作を的確に映画化したブライアン・デ・パルマ監督の演出に由るものも大きい。むしろ、彼のもつテイストにも激ハマりだったのか。

というような話を赤松氏と話していて、じゃあ失敗したスティーブン・キング原作の映画は、という話に至り、僕はキング自らメガホンを取った『地獄のデビル・トラック』を挙げた。

彗星の持つ電磁波か何かで、地球上の機械が狂い、トラックまで暴走しはじめるというような話だったか何だったかどうでもよいのだが――この映画に赤松氏が「絶対観たい!」と興味を示した。やめとけ。

彼女の闇は、まだ深いのかもしれない。

漫画「プロムのない国に生まれてよかった」(赤松かおり)

映画『キャリー』のストーリーの重要な舞台となるのが「プロム」。
海外の青春映画などで見られる、当日車で相手の家に迎えに行ったりするダンスパーティーです。
この学校行事について思うことを描きました。(※ネタバレあり)

%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%aa%e3%83%bc%e6%bc%ab%e7%94%bb

私だったらどう考えても、プロムに参加するくらいなら数日停学処分のほうがましです・・・。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

赤松 かおり

赤松 かおり

本とお散歩と食べることが大好きなイラストレーターです。webやフリーペーパーなどで、イラストを描いております。

おすすめの記事