かきくけコラム :「大人にも響く子どもの本 」3

毎週、てくてくひめじ界隈で得意な分野を持つ方々にコラムを書いていただくコーナー「かきくけコラム」。

小さなころから本好きで、常に本を持ち歩く子供だったという姫路在住のイラストレーター、赤松かおりさんによる、大人になってからこそ読みたい子供の本、「大人にも響く子どもの本」はじまりますー。

第3の発見 理不尽な思いをした人へ:
『スーホの白い馬』1967

<あらすじ>
羊飼いのスーホは、白い馬の子を拾って大切に育てます。スーホと立派に成長した白馬は、町で行われた競馬に参加して一等になりました。
しかし殿様は、スーホが貧しい羊飼いだとわかると、約束のほうびを与えないばかりか、家来にスーホを殴らせ、力ずくで白馬を取り上げてしまいます。
引き離されている間、スーホはずっと悔しい思いをしていました。しばらくたったある日、殿様は人々の前で見せびらかそうとして白馬に乗ります。すると白馬は殿様をはね落とし、逃げ出しました。
殿様はいうことを聞かない白馬を射殺そうと、家来たちに弓を引かせます。白馬は体に何本も矢が刺さったまま、スーホのもとに逃げ帰りました。
けれど手当の甲斐もなく、白馬は死んでしまいます。
ある晩白馬は、スーホの夢に現れて、残った自分の皮や骨を使って楽器を作るように言います。
スーホは楽器を作り、大好きだった白馬を想い奏でると、美しい音色が人々の心に響くのでした。

モンゴルの「馬頭琴」という楽器の由来となったお話です。
読んでいると、権力者の横暴に腹が立ちますが、
現代の私たちも、社会で理不尽な思いをすることはよくあります。心血を注いで働いても、会社や世の中が評価してくれるとは限りません。
ハッピーエンドばかりではなく、どうにもならないことはたくさんあります。

小学2年で私が教科書のこのお話を読んだとき、「白馬がかわいそう」と思ったものの、それぐらいで終わっていました。
しかし、大人になって読んでみると、命の大切さのほかにも、大切に育てた白馬を奪われたスーホの無念さや社会の理不尽さが、身にしみてわかります。がんばっても評価されるどころか、ぞんざいに扱われたり切り捨てられたりする現実があります。
そんな、世の中から孤立しているような気分になっているときに読むと、スーホと境遇を越えて痛烈な辛さをシンクロしたような気がして、励まされます。

<心に響く言葉>

「スーホは、どこへ行くときも、このばとうきんをもっていきました。それをひくたびに、スーホは白馬をころされたくやしさや、白馬に乗って、草原をかけまわった楽しさを、思い出しました。そしてスーホは、じぶんのすぐわきに、白馬がいるような気がしました。
そんなとき、がっきの音は、ますますうつくしくひびき、聞く人の心をゆりうごかすのでした。」

『スーホの白い馬』(大塚勇三再話,赤羽末吉画,福音館書店 1967)  - (p.42)

スーホと白馬は、どちらも親がおらず、きょうだいのように育ってきました。
白馬を奪われた悲しみは、家族を失った悲しみに近いと思います。
これほどの悲しみを受け入れるのは非常に難しいことです。
傷つき、自分を憐れんだり、閉じこもったりしてしまいたくなります。それでもスーホは、残った白馬の骨や皮をつかって馬頭琴をつくり、その音色で人々の心を癒しました。

理不尽な出来事は、深く心を傷つけ、悪いだけのものととらえられがちです。もちろん、肯定することはできませんが、痛みがわかっているからこそ、他者へのやさしさや想像力もうまれます。

この春から大きく環境が変わり、慣れない立場で理不尽な思いをし、めげてしまいそうな人もいるかもしれません。
限界までがんばって心身が参ってしまい、身動きがとれなくなってしまった人を、弱い落ちこぼれだと蔑むのではなく、辛さを理解しようとして、思いやれたら一番いいと思います。

傷ついたあなたに、そっと寄り添ってくれる、やさしい一冊です。

文責:赤松かおり
てくてくひめじ関連記事:
キーワード「赤松かおり」

公式WEB・SNS:
  http://akamatsukaori.com/
  @kaori.akamatsu.3
  @matsubottsukurisya

赤松 かおり

赤松 かおり

本とお散歩と食べることが大好きなイラストレーターです。webやフリーペーパーなどで、イラストを描いております。

おすすめの記事