毎週、てくてくひめじ界隈で得意な分野を持つ方々にコラムを書いていただくコーナー「かきくけコラム」。
「懐かしい未来」をキーワードに、豊かな暮らしや生き方を模索する、いまいみきさんのコラムです。
第10回目「おおきな家族」
「懐かしい未来」という、わたしが度々コラムに使用させてもらっているこの言葉。
これは、ラダックという地域を、長期間フィールドワークを行った言語学者であるヘレナ・ノーバーグ=ホッジが唱えたもの。そこには、グローバル社会に生きる私たちが失ってしまった懐かしい「過去」を、ラダックでの暮らし方のなかから学び、「未来」を変える、という意図が込められている。
最近わたしは、ラダックで暮らしていたときのことをよく思い出している。彼らがどう生きていたのか、どんなリズムで生活していたのか。「懐かしい未来」のひとつひとつを振り返るなかで、今日は、わたしが彼らから学んだ「おおきな家族」という感覚を紹介したい。
思いやりのなかで
ラダックでの日常は、いつもだれかと関わることで始まる。わたしは、大人と子どもが一緒に農作業をしたり、散歩したり、あやしていたりする光景をよく目にしていた。わたしが滞在していた家庭でも、おばあちゃんがいつも赤ちゃんの面倒をみていた。近所のお姉ちゃんが訪ねてきては、お湯を沸かして、ひとつの家にご飯を持ち寄って食卓を囲んでいたり、近所の牛を集めて、当番で放牧させていたり。
「家族」という枠を超えて・・・誰が誰といるとか、誰が誰の面倒をみるとか、決まりのない日常のなかで、ひとりひとりが役割をみつけて日々を生きていた。彼らに、ひとり暮らしなどという感覚はなく、なにか困ることがあると、近所の家や友人を訪ねて相談をしあえる関係性が密にできていた。一見面倒に思える密な人との関わりも、必要性のなかで生まれるひとつの小さな社会が、わたしには新しく思えた。
やさしい場所をつくること
かつては日本でも、村社会のなかで、近所づきあいや農作業での結作業が盛んに行われていた。子どもは大人の背中をみて育ち、親でなくとも、大人たちが子どもをあたたかく見守っていたのだと思う。子どものころから、人への思いやりを持ち、やさしい場所づくりが行われていた暮らし。
だけど、今は個人個人の生活リズムで、人とのつながりが分断されてしまっているように感じる。だけど、本当に困ったときに頼ることが出来たり、お互いが助け合える関係性を築いていくことは容易ではない。
いま、わたしが活動している「かつらぎ自然のまなび舎」では、畑をシェアして大豆を育てていたり、田んぼで稲を育てている。畝をひとつずつシェアしている大豆畑では、となりの人の草管理がうまくいっていなければ、声をかけ合い周りが協力して作業を行っていた。田んぼでは、時間があるひとが駆けつけて一緒に草取りをしたり、あちこちで小さな「結作業」が行われている。
日々のコミュニケーションのなかで人のあたたかさを感じつつ、今ここに通っている人たちは、未来にやさしい場所をつくる思いで動き始めているところ。
家族の枠を超え、農作業を協力したり、たまに一緒に食卓を囲み、互いが思いやり、穏やかな時間が流れるとき・・・わたしはお山での活動にラダックでの「おおきな家族」を感じる。いろんな家族が集まり寄り添い生きること。1日2日では築けないものだからこそ、時間をかけてゆっくりゆっくり。
頼れる人や場所がある、ということはとても有難く心強い。周りの人たちを思いやることで、人とのつながりとり戻し、やさしい場がどんどん地域に増え根付いていくこと・・・ここに人が集まって知恵を出しあい、心豊かに暮らすことができたら、きっと未来は明るいだろうなぁ。さぁ、今日もお山で結作業をしにいこう。
文責:いまいみき
かつらぎ自然のまなび舎
HP:https://katsuragi-manabiya.jimdo.com/
ブログ:http://ameblo.jp/katuragimanabiya/