かきくけコラム :「お坊さん、故郷を想う」03


obousan

毎週、てくてくひめじ界隈で得意な分野を持つ方々にコラムを書いていただくコーナー「かきくけコラム」。


姫路出身のお坊さん・なわたっせんさんの3回目です。お楽しみください。

03の想起「アノソバ」

「故郷」的エッセンス

前回、前々回と「表/裏」のソウルフードをめぐって書かせていただきました。「故郷」にまつわるコラムのはずが、どういうわけか食べ物のことばかり想起されます。思うに、食べ物は五感ないし六感の全体を通して感覚され、記憶に刻まれるからではないでしょうか。しかし最初に宣言しますが、ソウルフードシリーズは、ひとまず今回で終わらせていただきます。

これまでのところで、ソウルフードから抽出された「故郷」的なエッセンスは、だいたい以下の通りでした。

・なんだか「優しい味」がする。
・遠くにいても、それに触れれば「故郷」がむしょうに懐かしく想起される。
・「場」と「記憶(思い出)」と連動する。

この3点は、実は仏教、とりわけ浄土教の考え方にも通じています。どう通じるのかは、これからおいおい紹介させていただくとして、今回はひめじん(姫路人)なら誰もが食べたことのある「アノソバ」を通じて、もう一つなくてはならないポイントを確認したいと思います。

「えきそば」の噂

前回紹介した「明石焼き風たこ焼き」と並ぶ姫路のソウルフードの二大巨頭の一つが、まねき食品の「えきそば」であるとは誰もが認めるところでしょう。しかし、私は高校を卒業するまで駅の構内にある立ち食いそば屋に入ったことはなく、それは乗り換えの時間に追われた旅人や忙しいサラリーマンなどが利用する場所であると決めつけていました。

ところが、大学に入学した夏、ある友人から「姫路駅の“えきそば”はたいそう美味しい」という話を耳にしました。

それはなかなか信じがたい話でした。なぜなら、当時大阪で一人暮らしを始めていた私は、近くの駅の構内で初めて立ち食いそばを体験し、そのだし汁の味の薄さに仰天していたのです。

しかし、その友人は言います。「大阪と姫路は全然違う。なんで姫路駅には入場券を買って見送りに出る人が多いか知っとるか?」と。私は思わず前のめりになりました。すると友人はすかさず(現代で言う「ドヤ顔」で)言いました。「みんな“えきそば”を食べたいからや」と。

その時以来、毎日のようにまだ見ぬ「えきそば」のことが頭をよぎり、とうてい大阪の地ではそばを食べる気になれませんでした。「ああ、姫路に帰りたい。そして駅であのそばを…」。まだ見ぬ「えきそば」の噂により、故郷へ帰りたいという欲求が喚起されたのです。

えきそば=あのそば?

とは言え、帰省してもなかなかタイミングが合わなかったり、忘れてしまったりと、実際にあいまみえるのに約半年を要しました。

私が姫路駅の在来線のホームで念願の「えきそば」と対面したのは、正月を過ぎた寒さのきびしい日でした。そして、目の前に出されたそばを見て「もしかして“アノソバ”では?」と思い、さらには一口食べたところで確信しました。「これは間違いなく“アノソバ”だ」と。

記憶が正しければ、私の通っていた高校の食堂では、きわめて濃い味の和風だしに中華麺という不思議なそばが出されていました。そして、高校時代はその「学食そば」をほぼ毎日のように食べていました。真相にまでは到達できませんでしたが、「えきそば」販売元のまねき食品は、兵庫県内の学食に食品を卸しているようなので、おそらく間違いないと思います。

そのようにして、もともと思い入れのあった味ということもあり、以降、姫路駅を経由するときには構内の立ち食いそば屋に足を運ぶのが定番となりました。今では同じそばを駅の外や新幹線乗降口の小ぎれいな店(マネキダイニング)でも食べられるようになっていますが、やはり一番美味しく感じるのは、何と言っても在来線の立ち食いコーナーです。そして、いつの頃からか、家族や友人を見送るときにも、改札のところで引き返さずに、わざわざ入場券を買って構内に入り、電車が発った後にそばを食べて帰るという、例のルーティーンも身に付き出しました。

歴史の味

さて、前置きが長くなってしまいましたが、そういう経緯で十五年以上姫路の「えきそば」を愛好しています。とくに寒くて凍えそうな日は、「あのそばに一味唐辛子をいっぱいふりかけてすすりたい」という欲求がとめどなく押し寄せてきます。また、東京で生活するようになってからは、故郷への想いとともにその欲求が湧き起こるようにもなり、それは東京名代の富士そばではとても抑えきれません。

ある時期からカップ麺タイプが売り出されましたが、前回確認した通り、ソウルフードは場と記憶と連動するので、たとえ味覚的な欲求は抑えられたとしても、どうしても「何かが違う」という思いに駆られてしまいます。

そんなある日、お店のなかで次(写真)のようなポスターを発見し、その文面を見て驚き、そして合点がいきました。

終戦後、何もない混乱期に統制品であった小麦粉の替わりにこんにゃく粉とそば粉をまぜたそばを販売、その後試行錯誤の結果現在のかんすい入りの、中華麺に和風だしというミスマッチの商品が誕生しました。
昭和二十四年十月十九日に「えきそば」と名付けられ、立ち売りの販売方法をへてホーム上の売店へと発展してきました。
現在は、メニューも増え忙しいビジネスマン・学生・昔からの「えきそば」ファンに親しまれております。

うすうす感じていましたが、ただの「そば」ではなかったのです。終戦後の混乱期に、当時は統制品であった小麦粉に代わり、あの手この手で始められた「こんにゃく粉とそば粉をまぜたうどん」がそもそものルーツで、言わば、終戦後の復興の歴史とともに、改良を重ねながら歩んできたのが、この「えきそば」だったというのです。(詳しくはこちら

つまり、私たちひめじんは、無意識のうちにその「歴史の味」を経験し、そこに故郷を感じていたというわけです。このような歴史のなかに自分を見出した時、このそばが真に「ソウルフード」となったような気がしました。

これが私の思う、ソウルフードにそなわる「故郷」的な最重要エッセンスです。そしてこれもまた、何と浄土教的な裏付けが可能なのです。そのことは、いつの日か書かせていただくかもしれませんし、書くまでもないかもしれません。合掌

ポスター写真

文責:なわたっせん
 勤務先 親鸞仏教センター
 自坊  明泉寺 Facebookページ

公開日 : 2016-2-17
最新更新日 : 2016-2-17

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