毎週、てくてくひめじ界隈で得意な分野を持つ方々にコラムを書いていただくコーナー「かきくけコラム」。
「陽文庫-アキラブンコ」のみずいけさんと、ブックカフェ・トキシラズの山本さんがかわりばんこにつづる、本にまつわるコラム「ブックブック こんにちは」、28回目は陽文庫みずいけさんです。
28のブック
「女子の人間関係」水島広子
発売: 2014/4/10
著者: 水島広子
出版社: サンクチュアリ出版
サイズ: 単行本
ページ数: 240ページ
ISBN: 4801400027
精神科医で元衆議院議員でもある水島広子さんの著書。
男性である僕には一見関係なさそうなタイトルですが、三十数年生きてきて、女子の生態は未だに謎が多いので、解明するヒントが得られるかもしれないと思い手に取りました。
目次には
○「女」が作られる背景
○「選ばれる性」によって作られる「女」
○「女」とは、癒されていない心
○他人のライフスタイルを非難する「女」
○子どものために合わないママと仲良くしなければならない
○「社会的な仕事」としての価値
○“オススメ”されて困る 「領域意識」の欠如
などが並び、基本的にはQ&Aの形式で水島先生が質問に対して分析をし、STEP1、STEP2と段階を踏んで、その問題に対してどう考え、どういう動きをとれば良いかを提示しています。
「女」度を下げる
本書を通して一貫している水島先生の考えとして【「女」度を下げるということ】が繰り返し語られています。
女性という市場に乗っている限り、必ずどこかで摩擦が起こる。
その摩擦を回避するための戦略として、「女性」であることを半分降りる、といった感じでしょうか。
というのも元々女性は歴史的か社会的になのかはわからないのですが、いつの間にか「選ばれる性(単純にいうと男性から)」ということが当たり前のようになっていて、周りからどう思われているかが大事になってしまっている。
確かに自分のことを振り返ってみても、もう少し若いときであれば、一部の学生時代の友人や職場の同僚的な人以外は、なぜか女性を見るときに「かわいい」「かわいくない」「釣り合わない」などと、無意識のうちに人としてというよりも女(異性?)という視点で見ていた気がします。もっと下衆い(ゲスい)言い方をすると、心の中では女性として「アリかナシか」という視点で女性を見ていたような…(無意識でもなかった気もしますが)。
「女」の嫌な部分とは
この本を読んで、橋田壽賀子さんの「渡る世間は鬼ばかり」とか「女は三界に家無し」という言葉もふと思い出しましたが、水島先生は「女」の嫌な部分を幾つか挙げています。
○すぐに群れたがる。「群れ」の中では均質を求め、異質なものを排除しようとする。
○感情的に「敵」「味方」を決め、自分をちやほやしてくれる人には限りなく尽くす一方、自分の「敵」に対しては、とことん感情的に攻撃する。その感情的攻撃は、多くの場合「正論」という形をとり、主語は「私は」ではなく、「普通」「常識的には」など。(P23より)
など。
あと「領域意識の欠如」という言葉も本書の中では多く出てくるのですが、あまり今まで考えたことのない概念だったので興味深かったです。ここから「オススメ癖」や「お母さん病」「お姉さん病」につながるという指摘も。
最後に
昔、何かの本を読んで【「優しい」女性はいない】ということが書かれていて妙に心に残っていたのですが、この本を読んでなんとなくその言葉の意味が理解できました。
と同時に、周りに「優しそうな」女性はたくさんいるけれど、もしかして僕の方が本質的には優しいかもしれないと。というかたぶん僕のが優しいと思いました。
「女」の嫌な部分を、本書内ではカッコつきの「女」と書いていますが、水島先生は【「女の敵は女」に象徴されるように、「女」として生きていく限り、本当の意味で他の女性とつながることはできません】と言います。
そして、女性同士の真のつながりは大きな力をもたらす、と。
この本は普段は姫路市伊伝居のパーランドコーヒーという店に置いているのですが、現在は家出中でまた近日中に戻ってくる予定です。
たまにこの本を読んではる女性の一人客を見かけますが、きっと「思うとこあり」という方なのでしょう。
男は男で、地位や名誉を誇示するという未だによくわからない慣習?小競り合い?マウンティング?がありますが、いかに世が平和になろうとも女性の中での大奥の争いのようなことは続きそうです。
女子の人間関係につまずいたときに(もしかして常にかもしれませんが)、一度手に取ってみてはいかがかなと思います。
おわり
文:みずいけあきら(陽文庫)
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