毎週、てくてくひめじ界隈で得意な分野を持つ方々にコラムを書いていただくコーナー「かきくけコラム」。
「陽文庫-アキラブンコ」のみずいけさんと、ブックカフェ・トキシラズの山本さんがかわりばんこにつづる、本にまつわるコラム「ブックブック こんにちは」、20回目は陽文庫みずいけさんです。
20のブック
「偶然の装丁家」矢萩多聞
発売: 2014/5
著者: 矢萩多聞
出版社: 晶文社
サイズ: B6判
ページ数: 288ページ
ISBN: 978-4-7949-6848-7
晶文社の人気シリーズ「就職しないで生きるには」の中の一冊です。
子どものころから「伝えたいものは何か」「なりたいものは何か」と問いつづけられることは結構しんどいことです。それよりも、いま自分の暮らす場所、出会った人のあいだで、なんとなく自分が必要とされ、自分の輪郭が見えてくる。そのほうが居心地のよい社会のような気がします。
(p.13)
平凡でいいんだよ、ということを話していた。特別な何かになろうとしなくていい。個性的に生きようとする必要はない。才能なんてものは存在せず、あるとしたら人の出会いと運だけ。ぼくなんてそうやって生きてきたんだから
(p.278)
絵を描くのが好きだった少年は、中学一年の終わり頃から学校にいけなくなり、あるときインドの民俗画を見て、自分で描くようになる。そして、ひょんなことから横浜で14歳にして個展を開くことになり、そこからインドの学校に行くことを思い立ち、個展で得たお金も元手に家族でインドの学校にいく。
あるとき日本に帰って来た作者は自分の珍しい経験を本にしないかと言われ、装丁を含めた本一冊をプロデュースする。
かな〜りざっくりですが、本のあらましはこんな感じで、インドで結婚式を挙げるためにヒンドゥー教徒になった話や、日本とインドをむすぶポータルサイトを作った話、装丁やデザインの話ももちろん面白いです。
が、この本の肝は「就職しないで生きる」ために、いかに個性的に、強いメッセージを持ちつづけて生きていくかというものは「ない」ということ。
作者は「いま自分の暮らす場所、出会った人のあいだで、なんとなく自分が必要とされ、自分の輪郭が見えてくる。ささやかな言葉や体験が、つねに自分を変化させつづけ、いまの仕事につなぎとめてくれている。」といいます。
幼い頃の話を読んでいるとその人生はとても個性的ですが、タイトルに「偶然の装丁家」とあるように、作者はなろうとして装丁家になったわけではありません。
「じつは人間は生まれてすぐ0歳のときから、社会のなかに生きている。学校に行けなくなったときも、インドに行って暮らしたときも、ぼくは社会の外にはいない。むしろ社会のなかにいたからこそ、絵を売り、本をつくりつづけられたのだと思う。客観的に見れば社会的弱者だったのかもしれないが、それでも社会に生きていないわけではない。
(p.214〜215)
社会に順応しているように見える、ふつうに暮らしている目の前の人たちの物語に気づき、括弧つきの「社会」というものを意識しなくなり、自分と社会とが何の隔たりもなく感じられるようになったとき、矢萩さんの気持ちが開け、生きるのが楽になったのかもしれません。
学校を辞めたこと、絵を描いたこと、インドに行ったこと、装丁の仕事に辿りついたこと…
いろんな要素がこの本にはあって、どこに興味を持って、どの部分に共感するかは人それぞれだと思いますが、本書を読んでも「こうすれば矢萩さんのようになれる」というものはありません。
『就職しても生きるには』
を多くの人は知りたがっている気がする、と作者はいいます。
他人の中で適切な距離で生きること。このことが一番大事なんじゃないかなと、この本を読んでいて思いました。
テーマとはむしろ逆に、複雑に考えてしまいがちな仕事や人生について、ふっと肩の力を抜いて向き合えるような一冊です。
おわり
文:みずいけあきら(陽文庫)
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