毎週、てくてくひめじ界隈で得意な分野を持つ方々にコラムを書いていただくコーナー「かきくけコラム」。
「アルデナイデ農園」、「トマト部」といろいろな活動をされているよこはたほくとさんによる、写真と徒然なのんびりコラム、どうぞお楽しみください。
「昔からある場所。」
自分の限界がどこまでかを知るために、 ぼくは生きてるわけではないけれど。 新しい扉を開けて、海にでれば。 波の彼方には、ちゃんと”果て”を感じられるようになっているんです。
“果て”が見えない闇の場合は、oh ohって、手を伸ばして。 傷が癒えないのであれば、いっそのこと引きつれて。 はみだしてもいいから夢を描けばいいんです。
今日が終わるたびに、胸をなでおろすなんてやめましょう。 諦めることを許したら、 HELLOだって言えなくなります。
ズルしても真面目にでも、 生きてはいける気がします。 ささやかな喜びをつぶれるほど抱きしめながら。
どこへでも続く道があります。 いつの日か、その道を歩みながら、 ぼくたちは、その場所へ行くんです。
きっとそこは、想像している以上に騒がしい場所で、とどまることを知らない時間が流れているはずです。
Helloでagainな、チェリーにDon’t wanna cryの、昔からある場所へ。 Tomorrow never knowsで。
たまたま、印象に残っている懐かしい曲の歌詞を、つなげてみました。 すると、なんとなく、ひとつの文になるような気がします。 曲はそれぞれ違うけれど、作詞された方々の伝えたいモノは、一貫して同じように感じます。 この時代の曲をよく聞いていたとかも影響があるかもしれませんが、詞を読み返してみると、すごく時代背景を感じます。 恋しちゃった系の曲でも、ゴリゴリなロックな曲でも、うまくコトバにはあてはめることはできないけど、今とは違う何かを感じるように思います。やっぱり1995〜1996年ごろの空気を思い出します。ぼくは。
それがいいとか悪いとかではなくて、鼻歌やカラオケで歌っていた曲の詞は、以外と深く、無意識ながらその詞は、頭の中にインプットされていることがとてもおもしろいです。 し、なんかしか、今のぼくのパワーにもなっていると思います。
そんな詞や曲を作ってきたり、今も作っているヒトを尊敬します。
の、優しさにふれるよりもふりまくことで。ずっとずっと今までやってきて。損したなんか思ってないから、いつしか仲間は増えてて。明日がそっぽむいても走り続けられる。マーク・パンサームーブメントによる、第七回目のコラム、おわり。
文責:よこはたほくと
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