毎週、てくてくひめじ界隈で得意な分野を持つ方々にコラムを書いていただくコーナー「かきくけコラム」。
「懐かしい未来」をキーワードに、豊かな暮らしや生き方を模索する、いまいみきさんのコラムです。
第8回目「結のチカラ」
6月になりました。あちらこちらで田植えが行われていますね。田んぼに水がはり始めるとっても美しい景色、毎年この時期の田んぼを眺めることが楽しみなわたしです。
さて、みなさま。「結(ゆい)」という言葉をご存じでしょうか?
国語辞典で調べてみたところ、家相互間で、双務的に力を貸し合う労働慣行と記載されています。要は、昔は村人たちが共同で山を管理したり、田植えや稲刈りの作業をする際、村で順番を決め、総出で手伝う様のことらしいのですが・・・
助け合いの日常のなかで
わたしがある時期暮らしていた、シャラという集落での出来事。
早朝5時すぎから、毎日家族で向かっていた先は、だだっ広い大地。この地域では、雪がとけ、春の訪れとともに、大地に麦の種を蒔くのです。そこに集まった家族以外の見知らぬ大勢の人・人・人。広い大地に、ゾと呼ばれる家畜(牛とヤクの合いの子)を男性がひき、そのあとを種を蒔く女性、そのあとを女性たちが大地を整えてゆく。
「種をまこう。大地に感謝して。」彼らは大声で唄をうたいながら淡々と作業をこなしていきます。同じリズムで、同じ言葉を皆が唄いながら、どんどんスムーズに進んでゆく作業。そのスピードの速さにあっけにとられながら、わたしは彼らの行動を観察する日々を過ごしていました。
時間が経つうち、彼らは同じ村の人だということが判明。話を聞いていると「明日は〇〇さんの畑を作業しよう」とか「明日水路に水を流すのは〇〇さんところから〇〇さんの畑へ・・・」とか常にコミュニケーションをとっているのです。彼らは皆で協力して暮らしていました。
村人総出で作業をしているもんだから、「なぜ、毎日一緒に作業をしているの?」と尋ねると、「なぜ、ひとりで作業をしないといけないのか?」と逆に質問されてしまう始末・・・彼らにとっては、村人皆で作業を行うことが当たり前なのです。
彼らは広い大地を皆で助け合いながら作物を一緒に育てていました。一緒に作業をしながら、笑顔で過ごしている人々。そこに競争があるわけでもなく、日常のなかで人々が支え合いながら、助け合いながら暮らす・・・こういう経験したことがないわたしが、なぜだか懐かしい気持ちでいっぱいになりました。いま思えば、彼らの暮らしは、日々「結」だったんだろうなぁ。
結が生まれるとき
かつて、日本でも同じように「結」が行われていたそうな。きっと家族だけではなく、村人で協力して作業を行うほうが、効率が良いことを彼らは知っていたのだろう。だけど、今では田畑の作業もどんどん機械化され、人も家族単位での作業が主なので、暮らしのなかに「結」という景色を日本で目の当たりにすることが少なくなったように思います。
わたしがシャラで経験した「結」の姿・・・ときに唄をうたいながら、皆が同じ作業を次々にこなしていた時間は、とても穏やかでした。なにより、「結」が生まれるとき、ひとりでは味わえないあたたかいエネルギーが、じんわり広がり充実感で満たされているのです。
わたしは、一年ほど前からとあるお山を仲間と一緒に整備をしています。ひとりでは果てしない作業でも、仲間と同じ方向を向いて、ひとつのことに集中するとき「結」が生まれているように思います。懐かしい暮らしのなかには、人が互いに気にかけ合い、支えあって暮らしていくカタチがある・・・人との関わりが密になると、面倒に思う瞬間もあるかもしれないけれど、それ以上に得るナニカがあるように最近感じているところ。
もし、これから田植えや畑作業、お山の整備作業など、身近に作業をしている人がいたら、はたまた手伝う機会が巡ってきたら、ぜひ一度、一緒に作業をして「結」を体験してみてはどうでしょう。きっと大切なナニカを感じることができるはず。
耳をすませば、彼らの唄声が聞こえてくる・・・広い大地に響くうた・・・
文責:いまいみき
かつらぎ自然のまなび舎 http://ameblo.jp/katuragimanabiya/