毎週、てくてくひめじ界隈で得意な分野を持つ方々にコラムを書いていただくコーナー「かきくけコラム」。
姫路の言葉が好きな、あさのは商店店主・篠原玲子による「おばあちゃんZの言葉」の6回目です。
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01の言葉 何しよってん ゆーて ゆーたらな
02の言葉 行っきょっての人
03の言葉 姑さんがな、握っとったったら
04の言葉 チラシもええで、あんた
05の言葉 貴女のお店にはそれは必要に思います
Zの言葉06
あんたにとちゃうがな、マサヱさんにあげたんや
Zは網干で育ちました。両親と弟・妹たちとの生活にはおもしろいことがたくさんあったようで、今もよくZの話に出てきます。そのなかでも、明るくざっくばらんとした性格だった、Zの母親の「マサヱさん」(私の曾祖母)をめぐるエピソードは、特に楽しそうに話してくれます。
何回も何回も聞いた話なので、会話データにもきっとあるだろうと思って探したのですが、なかったため、今回は、不本意ですが、私の記憶による再現でお届けします。
Z : 網干はすぐそこで魚が捕れるから、家の前によー売りに来るんや。魚あるのにまた買うから、「お母さん、魚あるやんか。さっき買うたやんか」言うたら、「しーっ、言うたあかん」言うて。「料理しといて」言われて、炊いて、おやつに食べよった。
Z : 売りに来た魚なんか買うときは、おばあちゃんが店の売り上げからお金出して、「ちょっとZ、買うてきー」ゆーて、買いに行きよった。おじいちゃんがきっちりしとったったから、仕事帰ってからお金合わせよったけど、どないしよったんやろなー。
※曾祖母は釣り道具屋、曾祖父は勤め人でした。
Z : おじいちゃんは婿養子やから、友だちがあらへんやろ。はかい、おばあちゃんのボーイフレンドに友だちになってもろたったんや。おばあちゃんはボーイフレンドがよーけおった。うちに集まって花札しよった。
私が物心ついたときには、曾祖母はすでに相当な年のおばあさんだったので、家族や近所の人と歯切れのいいやりとりをしている様子は見たことがありません。また、曾祖母は釣り道具屋を営んでいましたが、その頃のことは知りません。年に1回か2回、ごくたまに訪ねていた網干の家は、薄暗くて静かでしたし、家のある通りにそれほど人の行き来があったような記憶はありません。
それなのに、Zの話を聞いていると、人情時代劇みたいなドタバタしたやりとりや、活気のある往来の様子が、いきいきと目の前に見えるようです。このすぐあとにやってくる戦争の時代がないなら、私も、こんな時代に、こんな町に、生きてみたかったなーと思います。
小町と竹久夢二
Zは、マサヱさんのことを「小町やった」と言います。美人の代表の「小野小町」から、その辺りで評判の美人を「なんとか小町」と言うときの「小町」です。「網干小町」だったと言うのです。
前述のように、私はおばあさんになってからのマサヱさんしか知らないので、小町と言われてもまったくピンと来ません。ただ、もっと若いマサヱさんを知っている私の母も、「小町」に同意しないだけでなく、「コント55号の二郎さんに似とー思いよった」「狸みたいやろ」などと言います。
顔のつくりはともかく、明るくて、人当たりがよくて、人気者だったのかもしれません。
ところで、Zは、姑のオタカさんのことも「背がたこうて、きれいな人やった」とよく言っています。こちらは網干小町とはまた種類が違って、「竹久夢二ふうの美人」だったそうです。この曾祖母のことは私もまだ記憶があるのですが、面長で、細身で、ちょっとしなっとしたような感じが、たしかに竹久夢二の美人画に似ていたかな、と思います。
私は、Zのこともオタカさんのことも知っている人に、「あー、あんた、ここのお孫さん!ひいおばあちゃんは竹久夢二の絵みたいなきれいな人やった。おばあちゃんもきれいし。あんたは似とってないなー」などと、ちょっと失礼なことを言われたこともあるので、きっと、そこそこきれいな人だったんでしょう。
曾祖母や祖母が美人で鳴らしたようなのに、私はちっとも受け継いでいなくて、残念なことです。
※画像はWikipediaの「竹久夢二」の項目からお借りしました。
文:篠原玲子(あさのは商店)
http://www.asanoha.net/
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