かきくけコラム :「お坊さん、故郷を想う」04


obousan

毎週、てくてくひめじ界隈で得意な分野を持つ方々にコラムを書いていただくコーナー「かきくけコラム」。


姫路出身のお坊さん・なわたっせんさんの4回目です。お楽しみください。

04の想起「ワスレナ」

思春期の「故郷」体験

はじめて「故郷」という言葉を意識し始めたのは中学三年生のときで、それが具体的に身にせまってきたのはごく最近、およそ5年前からです。

姫路のお寺に生まれたわたしは、もの心がついたころには「お前はこの寺を継ぐために生まれたのだ」という価値観が植えつけられていました。そのことに悶えて逃げ出したいと思いながらも、なんだかんだでがっちり縛られていたわたしは、なぜだかずっと姫路を「故郷」だとは思えませんでした。

どこまで行ってもお釈迦さまの手のひらから逃げられない孫悟空(西遊記)のように、結局は姫路、もしくはお寺という世界から外に出ることはできないとあきらめていたのだと思います。(ちなみに仏教において「あきらめ(諦め)」は真理が明らかになることや悟りを意味し、ネガティブな意味ではない)

もしかすると「故郷」とは、その地を離れたり、失ったりしてはじめて芽生える感覚かもしれません。

魯迅「故郷」

中三のときの最初のきっかけは、国語の教科書に載っていた魯迅の「故郷」という小説でした。
作者の実体験にもとづいた作品で、都会(北京)での生活基盤が整った魯迅が、故郷(紹興)に住む母と妻を引き取って一緒に暮らそうと出向いたときの出来事がベースになっているそうです。

なかでもとりわけ強烈なインパクトとなったのは、主人公の子ども時代の親友(閏土)との再会の場面です。有名な場面ですが少しだけ紹介しますと、主人公が故郷へ帰ったときに家族からかつての親友が近いうちに訪ねてくると知らされ、彼と一緒に遊んだ少年時代の記憶がよみがえり、同時に美しい故郷の思い出が稲妻のごとく想起されます。そして数日語、会いたかった親友との再会の日を迎えます。ところが、いよいよ感動の対面……と思いきや、彼から飛び出した第一声は何と「旦那さま」でした。その言葉を聞いた主人公は、ぞっと身体が震え、あることに気がつきました。二人の間にはすでに「悲しむべき壁」が築かれていたのだと。

この作品は、作者が生きていた当時の中国社会に根強く残っていた身分差別の現状を描き出したものですが、はじめて読んでから約二十年間、この日本で生きてきたわたしもまた、同じような「悲しむべき壁」に何度かぶつかりました。

寺山修司『誰か故郷を想はざる』

偶然にも同じ年に出会ったのが、「青春煽動家」を自称していた寺山修司の作品です。
当時大学へ入ったばかりの姉から、中三の秋ごろにとつぜん「これ読んでみな」と手渡されたのが『青少年のための自殺学入門』(河出文庫、1994年)という作品で、思い返せばその一冊から、何かが始まりました。

中三病(?)に苦しんでいた私は、そのタイトルを見てドキリとしました。ちょうどそのころ、毎日毎日できもしないのに自殺のことばかり考えていたからです。しかし、その作品に手を出したら最後、読み進めるほどにまんまとだまされてしまったことに気がつきました。と言うのも、そのなかに描かれていたのは、自殺機械の作り方から上手な遺書の書き方、死にマッチする音楽の選び方や場所の選び方など、「創造的」な死との向き合い方であり、かぎられた人生を「充分に生きる」ための道でした。つまり“自殺”ではなく“自殺「学」”の入門書だったのです。

そして、読んだ後には、知りたいことや読みたい本など、いろいろな欲求があふれてきて、もはや自分が死ぬかどうかを考えている場合ではなくなりました。おぼろげながらも「この世界は自分が思っているよりも広い」という感覚を、はじめておぼえたのです。

それからと言うもの、高校受験もそっちのけで手当たり次第に寺山作品を読みあさりました。そうすると、多くの作品が「故郷」体験をモチーフにしていることを知りました。なかでも、彼が「憎むほど愛していた」という故郷(青森)を離れ、東京へ移り住んだ後に出した自叙伝があります。その名も『誰か故郷を想はざる』。伝記といわれるわりには何だかよくわからない話ばかりで困惑しましたが、そのなかに次のような一節がありました。

東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京
書けば書くほど恋しくなる。                  

今見ても鬼気迫るものを感じます。少年時代から何とかして家族や生まれ育った土地から逃げ出そうと欲求していた彼は、学校のノートにこのように書きなぐっていたとも言われます。東京へ出たいという欲求がない、と言うよりも何かしら「あきらめ」の着いていた私には、共感はできなかったのですが、「故郷」という言葉とともに強烈な印象がきざまれました。

そのようにして、中学三年の一年間に「故郷」体験をしたわたしですが、中学卒業後は高校生活ないし大学生活を謳歌する、と言うよりも調子に乗り始めて浮ついた生活を送り、その時に感じたものをいつの間にやら忘れ去ってしまいました。ふたたび「故郷」のことを思い出すのも、寺山作品を読み直したのも、ずいぶん後になってからです。

発売日: 2006年09月
著者: 寺山修司
出版社: 河出書房
サイズ: 文庫
ページ数: 160p
ISBNコード: 9784309408095
※当時読んだのは1994年に出たもの。現在は「新装版」になっています。

忘れること勿れ

さて、このコラムが世に出されるのは2016年3月16日。その5日前には、東日本大震災からかぞえて5年目の日を迎えました。まさかこの日を東京で迎えるとは思ってもいませんでした。中三のときはもちろんのこと、5年前のあの日も。そして、わたしがふたたび「故郷」という言葉を意識し出したのは、その震災の後でした。

生まれ育った土地から離れざるをえなくなった方々はもちろんのこと、全国にどこにいようとも、深さはちがえど誰もがあのときに「故郷」を失った感覚におそわれたのではないかと思います。しかし悲しいかな、どうやらその感覚が浅かったわたしは、時間とともに何度もそのことを忘れてしまいました。

震災の後、大津波で全壊してしまった岩手県(陸前高田市)のあるお寺の住職が「忘れないでください。それが被災地の一番の願いです」と叫ばれたそうです。わたしの所属する宗派(真宗大谷派)ではその声を受けて、毎年同じ日の同じ時刻(3月11日午後2時46分)に、全国各地のお寺で鐘をついて法要を勤めようという動きが起こっています。その運動は「勿忘(わすれな)の鐘」と呼ばれています。

じつは浄土真宗の教えは、端的に言えば「人間は大切なことを忘れてしまう、けれどもそのことをどうか思い出してほしいと呼びかけているのが仏の願いだ」というのが基本です。そして「浄土」は決して死んだ後に往く世界というだけではなく、「存在の故郷」などと呼ばれ、生きているわたしたちに忘れていた「何か」を呼び起こすものだと教えられます。その「何か」とは何か…については、またいつの日か改めて。

長くなりましたが、最後に5年目の3月11日に想起された一文を引いて終わります。合掌

思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
(「故郷」魯迅作/竹内好訳)

文責:なわたっせん
 勤務先 親鸞仏教センター
 自坊  明泉寺 Facebookページ

公開日 : 2016-3-16
最新更新日 : 2016-6-1

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